あきた病院開院50周年に寄せて
今から50年前、日本は世界に例を見ないスピードで高齢化社会を迎えていました。また、いたるところで木槌の音が聞こえ、高度経済成長の道を歩いていました。農村にも近代化の波が寄せ始めました。このような時代背景の中、1972年9月に医療法人吉村会、翌年9月に飽田病院が誕生しました。
私が入職したのは1990年4月です。いわゆるバブル経済が弾け、世の中は混とんとした時代を迎えていました。用度課長として入職した仕事は、看護師の送迎・院内で使用する医薬品の取り揃え・物品の買い出しのほか総務的な業務が主なものでした。
50年もの長きに渡り組織が生成発展しながら存続することは、並大抵のことではありません。
経営的に順境な時もあれば逆境の時もあります。
1973年は高齢者医療無料化の始まりでした。この恩恵に与り病院経営は順風満帆でした。ところが世の中の常でありいいことばかりは続きません。足元を見直し、さらなる成長のたに二進も三進もいかない試練が与えられました。入職した1990年4月はすでに経営危機に陥っていました。
理事会の開催をお願いし、今後のことに関し協議していただきました。案は3つ。①廃院する、②売却する、③自力再建をするという案がでました。沈黙と長~い時間が過ぎたころ、協議の結果、最終的な案は、自主再建することに決まりました。
誰が再建案の作成と実行するかが話し合われました。長~い時間と沈黙が続きました。盛雄先生が沈黙を破り、「佐渡君あんたがやれ」と。気迫と雰囲気にのまれたのか、下命を拝することになりました。はい、とはいったものの、どうやって処していくか、妙案などありません。再建の専門家に相談しました。返ってくる答えはどの専門家も同じことでした。「佐渡さん、再建は無理です」と。とはいえ、そうですかと言って、このままいたずらに時を無駄にすることはできません。
職員をはじめ関係者に、事の真相を知らせず、再建のためによいと思うことはなんでもチャレンジしました。職員からすれば、迷惑なことだったでしょう。
再建に当たって3つの誓いを立てました。1つは、職員の雇用は守る。2つは、金融機関と対等なお付き合いをする。3つは、納税の義務を果たすことでした。現在も3つの誓いは守られています。
再建に向けて盛雄先生から言われた言葉を忘れることができません。それは、こういうことです。
「吉村会はなくなってもいい。地域の財産として遺せ。職員を可愛がれ。身を惜しむものは採用するな」でした。盛雄先生の思いを常に胸に刻み、再建に取り組みました。
入職間もない私が、連帯保証人になり家屋敷まで抵当に差し出したのは、盛雄先生の想いに共鳴したからです。
携帯電話のない時代でしたから、ポケットベルや固定電話で、経理担当の柳原信子さんと「今現金はいくらある?支払日はいつ?」などと資金繰りのやり取りをしました。
職員には一切の事情を説明しなかったため、何をするのだろうと不審に思われたと思います。
熊本市への編入に伴い飽田という町名はなくなり、南区会富町と地名は変更になりましたが、旧町名を付したあきた病院は、時代の変化に応じて少しずつ確実に進化発展しています。例えば、介護病棟から一般病棟~地域包括ケア病棟、医療療養病棟が回復期病棟に変化してきました。病棟だけではなく介護保険制度がスタートすると同時に、訪問看護・訪問介護・福祉用具貸与事業などの介護サービス事業部門を立ち上げました。
地域の方の健康増進にお役に立ちたいとの願いから、健康増進課を設けました。また、地域の方と仲良くなりたいと思い、夏まつりを開催しました。今では、地域の行事となり多くの方に楽しんでいただいています。
すべての部署で、ゆっくりではあるが確実に進化発展し、職員も仕事を通し人間として成長しています。
盛雄先生から理事長就任を要請され、法人のかじ取りを任されることになりました。人を大切にしなさいという、盛雄先生の想いを法人名に表したいと思いました。何かのご縁でこの時代を共に生きるすべての人との出会いに感謝する法人であることの願いを込めて、医療法人むすびの森と法人名を改名しました。森は三本の木です。一本目は職員と家族、二本目は患者さん、三本目は地域や取引関係先を表しました。いろんな方とのご縁を結んでいこうと願いを込めています。
創立50周年を迎えることができたのは、吉村盛雄先生の想いである、「患者に寄り添う医療、職員の幸せを大事にする病院であること、無名有力であれ」を脈々と受け継いできた職員の努力の結果です。
今は亡き経理係長の柳原信子さんをはじめ歴代院長並びに歴代看護部長及び職員に心より感謝申しあげます。
時代と共にやり方は変化せねばなりませんが、創業者の想いと理念を法人の髄として受け継ぎ、地域のための地域の病院として、「あきた病院」を残していかねばなりません。
「患者のために仕事をしなさい」という盛雄先生の言葉を実践しながら、末永く地域に愛され必要とされる病院であることを目指していきます。
病院正面玄関から入って左側の壁に銅板に刻まれた額縁が飾られています。「願」がんと読みます。神仏との約束です。願に書いていることが医療法人むすびの森のねがいです。
この場をお借りして、人として成長の機会と場を与えてくれた吉村盛雄先生に感謝いたします。
医療法人むすびの森
あきた病院
会長 佐渡公一