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「藤井一中尉の使命感」

大東亜戦争で日本は戦場を本土に移すところまで負けていた。
沖縄の激戦に向かうため若き特攻隊員が知覧空港で、藤井中尉から教育をうけていた。
藤井中尉は、自分は安全な場所にいて、教え子たちは次々と特攻隊として死んでいく。教官の特攻志願は簡単には認められなかった。
何度も嘆願書を提出するも採用されなかった。
夫の固い決意を知った妻福子さん(24歳)は、「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分活躍できないでしょうから、一足先に逝って待っています」という遺書を残して3歳まじかの長女一子と、生後4か月の次女千恵子に晴れ着を着せ、厳寒の荒川で投身自殺をはかる。
妻子の死を知り、29歳の藤井中尉は、指を切り血染めの嘆願書を提出する。投稿し、願が受理されたのだ。
藤井中尉の我が子への遺言がある。
12月になり冷たい風が吹き荒れる日、荒川の露と消えた命。
母とともに血の燃える父の意志にそって一足先に父に殉じた、哀れにも悲しい、しかも笑っているように喜んで母と共に消え去った幼い命がいとうしい。
父も近くおまえ達の後を追って逝けることだろう。必ず今度は父の暖かい胸で抱っこしてねんねしようね。それまで泣かずに待っていてね。千恵子ちゃんが泣いたらよくお守をしなさい。ではしばらく、さようなら。
藤井中尉は2人組の出撃機で飛び立ち、アメリカの空母めがけて突撃したという。
日本を守るという使命感。そのために命を使う。
私は何のために、あきた病院に命を投げ出したか。
も一度鎮座黙考してみる。