「閑古錐」
「閑古錐:かんこすい」と読みます。
大工さんが毎日使い込んで、先が丸くなった錐のことです。
仕事道具としては使い物にならない。そこで、研ぎ直して再び使うか。それとも、尖った生き方をしなくても丸みを帯びた円熟した錐のような生き方に徹するのか。
東北に職員旅行で行った時のガイドさんに「うめこ」さんという年配のガイドさんが「若けりゃええってもんじゃないべぇ」と言っていたことを思い出した。
アンチエージングに没頭するのもいいが、人生の甘いも塩辛いも酸っぱいも苦いも渋いも経験した、顔に深いしわのある人間も魅力的である。
老いることで若いときには見えなかった世界や感性が豊かに広がる。老いはいいものであると、初老の私は近頃強く感じるようになった。
阿蘇草部吉見神社の樹齢千年を超えるご神木の杉。老杉に触れたが、暑さ寒さ、季節や人の世の移り変わりを黙って観てきた老杉は、私に、「円熟」は老いの証であり、老いとは単に歳を重ねることではないことを教えてくれた。老いも修行であると。
願わくは、見た目は若く、精神は円熟になりたいと思うが、果たして都合のいい願いは届くだろうか。
2023年1月28日