【米こめプロジェクト】
今年もお米を100万円分、美しいこころの稲作農家から購入する。
郵貯から100万円振り込んだ。
夕食時に家内と話した。
「善きことがおきるかもね」と。
会話中に、達磨大師と梁の武帝との間の問答を思い出した。
梁の武帝は「仏心天子」と呼ばれるほど厚く仏教に帰依していた皇帝であった。
武帝は達磨大師と出会った際、こう問いかけた。
「私はこれまでに多くの仏塔を建立し、経文を写し、多くの人を僧侶にしてきた。
ほかにも沢山のことをした。
これら仏教のためになる行いをしてきたことに対し、どのような功徳があるだろうか?」
しかしこの問いに対する達磨の答えは、まったく武帝の意に反するものだった。
「無功徳」
つまり、達磨は「何の功徳もない」と言い放ったのである。
私はこの問答を思い出した。といっても、浅学菲才な私に深く理解できないが、私流に解釈した。
目的と手段を取り違えてはならないと達磨大師は教えたのではないかと。
お米をシングルマザーに配布し、子どもがお米を食べてお腹が満たされ笑顔になる。どこの誰から届いたかわからなくてもいい。お腹が満たされ元気になり笑顔があれば、それが最高ではないかと思うと、家内と話した。
ある子どもからのお便りに、「自分も人を支える人間になりたい」と。
涙がこぼれました。
支援をさせていただくことが功徳ですね。