『ぼくのむねの中に』と題する小学1年生の浦島君の作文
以下に紹介するのは、私淑する浄土真宗の僧でもあり小学校校長など務めた教育者である東井義雄先生(故人)の講演録から抜粋したものです。
「おかあさん。おかあさん」
ぼくがいくらよんでもへんじをしてくれないのです。
あのやさしいおかあさんは、もうぼくのそばにいないのです。
きょねんの12月8日に、かまくらのびょういんで、ながいびょうきでなくなったのです。
いまぼくは、たのしみにしていたしょうがく1ねんせいになり、まい日げんきにがっこうにかよっています。
あたらしいようふく、ぼうし、ランドセル、くつで、りっぱな1ねんせいを、おかあさんにみせたいとおもいます。
ぼくはあかんぼうのとき、おとうさんをなくしたので、きょうだいもなく、おかあさんとふたりきりでした。
そのおかあさんまでもが、ぼくだけひとりおいて、おとうさんのいるおはかへいってしまったのです。
いまは、おじさんおばさんのうちにいます。
まい日がっこうへいくまえに、おかあさんのいるぶつだんにむかって、「いってまいります」をするので、おかあさんがすぐそばにいるようなきがします。
べんきょうをよくしておりこうになり、おとうさんおかあさんによろこんでもらえるようなよいこになります。
でも、がっこうでせんせいが、おとうさんおかあさんのおはなしをなさると、ぼくはさびしくてたまりません。
でもぼくにもおかあさんはあります。
いつもぼくのむねの中にいて、ぼくのことをみています。
ぼくのだいすきなおかあさんは、
おとなりのミイぼうちゃんや、ヨッちゃんのおかあさんより、1ばん1ばんよいおかあさんだとおもいます。
おかあさん、ぼくはりっぱなひとになりますから、いつまでもいつまでも、ぼくのむねの中からどこへもいかずにみていてください。
子どもからどんな親だとあるいは、どんな親だったと覚えてもらいたいか。
胸の中に愛する人がいる人は、力強く生きて行けるのではないかと思った。