「水俣病事件」
「石牟礼道子著」の『苦海浄土』、「原田正純著」の『原田正純の遺言』、「緒方正人著」の『チッソは私であった』、「高山文彦著」の『ふたり、皇后美智子と石牟礼道子』、「桑原史成写真集」の『水俣事件』を年末年始にかけて読んだ。
水俣病被害者は、「和解派」「一任派」「自主交渉派」とそれぞれの立場で事件解決に向けて活動していた。
チッソ社長の会社を守りたい思い。国・熊本県は行政の責任を簡単には認めたくない。
国や大企業と争いたくない弁護士・医師。
足尾銅山鉱毒事件、三池炭塵爆発事件、カネミ油症事件、土呂久砒素公害、新潟水俣病事件、四日市公害の記録を読むと、加害会社など権力を持つ人間は過ちをできるだけ認めようとしない。誤りを隠す。証拠を隠滅する。このことがさらに被害を拡大する。人間の防衛反応だろうか。
不都合な真実を暴くのは、一介の無名の市井人の純粋で透明な魂の叫びではなかろうか。
水俣病患者がチッソ本社で社長と交渉する場面で、「社長に水銀の入った水を飲め、死んだ者のいのちを返せ、元の体に戻せ、結婚もできない」と心の底から魂の叫びが聞こえてきた。
この方々は、自分たちの言っていることが実現できるとは思っていなかった。それでも、自分たちが偏見と誤解の中にあり、同じ市民が分裂し、親戚の裏切りにあったりと、筆舌に尽くしがたい体験をしてきた。
法律論や医学論ではなく、魂の叫びを受け取って欲しいと強く願ったのではなかろうか。
公害事件の記録を読んでいると、化学の恩恵に与っている私が対岸の火事のように傍観者ではいられない。加害企業の立場、被害者の立場、行政の立場、同じ市民の立場、それぞれの立場に立てば、私も同じことを言い、同じ行動をとったのではないかと思う。