日本医療評価機構 認定第 JC1979号

『 無農薬りんご農園 木村秋則さん紀行記 』

1月18日 木曜日 曇り時々雪

りんごの写真  午前6時に新橋駅を出て羽田に向かう。7時35分、羽田発青森行き。ロビーでアナウンスが流れる。「青森空港雪のため、機長が安全に着陸できないと判断した場合は、羽田に引き返すことを条件に飛行します。」
 ラッキーだ。もし引き返せば片道切符で往復乗れるのだ。その場合は午後の便で再び青森へ行こうと考えていた。だが、無事着陸した。青森空港から弘前までバスで1時間。ホテルに荷物を預けて昼食を済ませて、タクシーで弘前市五代沼田の無農薬りんご農家の木村さん宅まで行く。12時半過ぎにご自宅に着いた。昼食中であったため、外で5分ほど待った。木村さんが離れから出てきて、ご対面した。自宅居間に案内され会話が始まった。


Q:木村さんは農薬にかぶれなかったら、今のような無農薬農法に行きませんでしたか?
A:かもしれませんね。
Q:他の仕事を探そうとは思いませんでしたか?
A:日立の子会社東京機器工業株式会社でサウジアラビアのパイプラインを動力で送る機器を作るところの原価管理課で仕事をしていました。コストを調べるので他の人からは嫌われる仕事をしていました。30人ぐらいの部署でした。当時は税務署員になるか原価管理士の仕事が人気であった。自分は税務署の試験には落ちた。義親父から畑を手伝ってくれといわれた。兄は海上自衛隊のパイロットをしていたので、すぐには辞められないので自分が農業を手伝うことになったのです。実家も同じように米やりんごを作っていました。3年前に無登録農薬問題が起きましたが、漆にかぶれたような症状が出ます。皮膚がんの発がん性が極めて高いのです。昔は環境や人体に与える問題は二の次で生産量を増やすことが優先されました。この辺では地下水を使うと金魚が1週間棲めないし飲み水としても使えない状態でした。それほど農薬による汚染がひどかった。農業は食の生産という大義名分によって、農薬の被害はほとんど問題にされない。外食産業が盛んになっている。種苗屋は味の出ない野菜を作る種を開発している。味が出ない方がいいわけです。そうすると全国どこの野菜でも使えるわけです。
Q:効率優先ですか?
A:そうです。ほとんど家にいないで全国の農家を回っていますが、今は収穫が終わるとほとんどの人がいません。姿が見えないわけです。ある県のJAから呼ばれた時、皆さんは何で生活していますか、と訊ねたら米ですと答えたのです。誰が米を作っていますか?自分でもなく、稲です。稲は土が育てています。田んぼに行って「ありがとうの一言が言える生産者になってください。」と言ったら会場がシーンとなりました。
ある地区の医師会に行って言いましたが、お金なんか印刷すればいくらでもできるよ。皆さん自分がお医者さんだと思っている人は手を上げてくださいと言ったら、全員手を上げた。私からみたら医者じゃない。医者は技術が何も発達していない。
昔、花岡青洲がいたから手術が可能となった。家族を犠牲にしたのです。医療が発達してことと技術が発達したことを勘違いしている。人を見なくなった。
産業革命で人間を楽にさせたが、人間本来を忘れた。今「ありがたい」と言う言葉がなくなった。例えば、学校給食でお母さんが給食費払っているのになぜ「いただきます。ご馳走様」をいわせるのかと。そういう時代です。私、今人間と思えない犯罪が多いと思うのです。ここ2〜3年前から女の事件が多いのですね。何だろうと思うのですね。人間の必須要素である栄養は食品から摂るのです。亜鉛が不足すると女は男みたいに、男は女みたいになるのです。最後は子孫繁栄もできなくなる。去年、ある県でイベントがあったが天候の影響で中止になった。たくさんのお弁当が不要になった。そこで養豚業者に配布した。ところが翌日養豚業者が二度とこんなことしたくないと言ってきた。豚舎がまるで別の生き物がいるように大暴れしたという。農薬を使わないのは、環境にもいいし、人間にもいいし、人間が丸くなるんじゃないかと思うのです。自分のやってきたことが社会のお役に立てばいいと思って30年間こうやってきました。
Q:8年間もどうしてやろうと思ったのですか?高い志が最初からあったのですか?
A:全然全然。福岡正信さんの本を見たのですが、あの本も最初買う気がなかった。本屋の3段目の本棚にあった本を1冊備え付けの棒で取ろうとしたら、2冊落ちてきた。長靴を履いていたので泥が本に付き、買わなければいけなくなった。仕方なく買ったの本が福岡さんの無農薬の本だった。
Q:なぜ7年間も諦めずにやり続けたのですか?
A:よく訊かれるのですが、1年に1回しか結果を見ることが出来ないから、来年はこうして
みようと思い、結果として7年も8年もかかった。例えば酢の倍率を今年はこうしてみよう来年はああしてみようと。その結果、8年かかったのです。
Q:最初から無農薬農法を志したのですか?
A:全然。やっているうちに自分の気持ちがそのようになっていった。肥料農薬の回数を減らすことで皆が安心して食べられる。それが希望でした。
Q:弘前駅前の飲み屋街で働いたり、チラシの裏にメモしたりとなさいましたね。
A:そうですね。メモはだいぶあったんですけど、大学の農学部の助教授にだいぶ渡したのですが。NHKが行ってみたが、かなり処分したみたいです。この仕事を始める前、友達と飲んで酔っ払ってしまって友達が一眼レフを1万5千円で売るというから買ってしまった。マクロレンズに大きい虫眼鏡を縛って、カビがどのように動くか観て鉛筆で書いていたんですよ。虫の生態が分からないので、家に持って帰り皿に乗せてお日様のところにおいたら、置いたのを忘れ気がついたら家中が虫だらけになりました。その虫が益虫か害虫か分かった。どの本を見ても卵と成虫しか書いていなく、生態が分からなかった。卵から孵化して成虫になるまでに害を及ぼすが成虫になったらどの虫も害を与えないのです。
Q:益虫だけ残し害虫を全部駆除したら、りんごはよく育ちますか。
A:いや、今度は益虫が害する。益虫といわれるテントウムシが今度は害するのです。
Q:組織も同じですね。
A:自然界は害虫と益虫のバランスです。文句を言う人や反逆する人がいるから組織が活性化する。私は農業以外の人に呼ばれて講演することが多いのです。
Q:その人そのものに益虫も害虫もないのですね。私にとって益虫か害虫かですね。
A:そうです。
Q:木村さんは「私はりんごお手伝い業」です、とおっしゃいましたが、人はそれぞれ自ら成長する力があるのですね。
A:そうです。
Q:木村さんが、りんごの木の周りの草を年2回刈りましたね。あれをまったくしなかったらどうなりますか?
A:あれは春と秋ですね。春の開花前は長い間雪に閉ざされていたので、春の日差しは秋の日差しの百倍といわれます。草が生えていると土に温かみが遮断されるのです。土の中の小動物が温かい方が動きやすいのです。そうすると、開花が早いのです。岩木山の麓にりんご畑がありますが、去年も3メートルも雪が積もりました。一日でも早く土に温かみを伝えたいのです。
Q:秋に草を刈らなかったらどうなりますか?
A:今度はりんごが赤く色づかないのです。
Q:太陽の関係ですか?
A:秋に紅葉があるように、草を刈らないと土の中の温度に寒暖の差がないのです。草を刈らないと土の中は外気が10度以下になっても18℃から12℃あるのです。土の中は意外と温かいのです。だから草を刈ってりんごの木に寒暖の差を教えているのです。
Q:組織に当てはめると、草を刈ることは、褒めたり叱ったりすることでしょうか?
A:そうです。組織にはいろんな人がいます。私も18の時組織の人間でした。そして、こういう仕事を始めて組織に入れてもらえなくなって、組織とはなんなのかとよく考えました。岡山で17万人いる会社でお話をしました。その時は7万人くらい社員が出席しました。組織でみなさんは歯車の一部と思っているからいけないのだよ、と話しました。みんな歯車のひとつになったらそこに独創性がないんじゃないか。チャップリンのモダンタイムのように歯車のひとつになっていたのです。私の歯は欠けて無いので噛み合わせができない。それは噛み合うようにできていたからです。最初から独立したものであればよかった。噛み合わなくなると一番困るのは自分です。組織とは鋳物と同じで硬い。ひとつが壊れていくと皆壊れていく。これが組織ではないかと思います。接着剤でくっつけた積み木でなくただ重ねているだけだからひとつが壊れると皆崩れるでしょう。それは組織とは思わない。草花の細胞を見ても肥料をやったものは細胞が細い膜なんです。そして大きいです。だから早く病気になりやすい。何も施さないものは細胞分裂で大きくなるから細胞膜の厚さが変わらないで大きくなるのです。
Q:不二家の事件は私たちが自分さえよければいいという生き方をしている中でおきたのではないかと思います。
A:経済の成長と人間の成長は反比例に動くのではないか。そんな風に思います。
Q:木村さんの作られたりんごは時間がたつと「枯れる」。化学薬品を使ったものは時間がたつと「腐る」ということですね。
A:そうです。
Q:化学薬品をいっぱい使った方が腐らないと思うのですが。なぜでしょうか?
A:菌が偏るからじゃないでしょうか。腐るのは菌のバランスが壊れるからです。メカニズムは分からないですが。
Q:枯れるとは命をまっとうした先にあり、腐るとは自分たちの都合のいいようにした先にあるのではないかと思いました。
A:水は高いところから低いところに流れていくのですが、今の世の中は機械などのエネルギーを使って低いところから高いところに水を上げているのではないでしょうか。だから効率を考えないといけないし、そこに弊害が出てくるわけです。
Q:長年苦労されて編み出した栄農法をなぜ公開しているのですか?
A:皆さんによく言われます。特許をとって金儲けをしなさいと。人間はサプリメントだけでは生きていけません。食べないと生きていけないのです。食べるものは人類共通のです。地球上で食べるものを分かち合った方がいいのではないでしょうか。韓国の杭州で私のやり方を国策として取り入れています。私と同じ志の人が失敗して挫折してもらいたくないから公開するのです。
Q:佐々木さんにスプレーヤーを5回使ったでしょう、といいましたね。そのとき、自分が苦労して編み出した農法を、約束を守らないなら教えないと叱らなかったのですか?
A:雑草がクローバーだった。マメ科は折れた節のところから芽が出ます。それを数えていたのです。草の上を歩くな、と命令するような形になります。草はこうやって教えているよと、間接的に教えればだめだよと言わなくても気づくでしょう。自分のしていたことは間違いだったと気づくでしょ。
Q:なんでそうしたのかと責めないで、事実だけを伝えることで気づかせるのですね。
A:怒るのは女房だけで十分です。お会いする回数が少ないので、そこに壁を作りたくないからです。壁をつくると大きな志を持ったひとが辞めていくかもしれないでしょう。
Q:木村さんの心に、俺は師匠だという思いはないのですね?
A:ない、ない。人間はみな平等です。人は人の上に人を作らないのです。しかし、叱るときは叱ります。明治大学のラグビー部が合宿に来た。畝を作らせたが、グニャっとして曲がっていた。でかい図体をして何もできないと、棒で殴った。心が曲がっているからだ。大根 の種を蒔いたら、曲がったところは発芽しなかった。
思いは土にも種にも伝わります。
キュウリの前に立って指一本たて、巻きひげに指が絡まるかどうかやってみてください。
お日様があがる7時前に一人で行ってください。落胆することがありますから。子供はみんな絡みます。心は通じるのです。
Q:人に対してもこちらの思いが相手に伝わるのです。
A:そうです。
Q:佐々木さんにスプレーヤーを使ってもいいから、と言いましたが試したのですか?
A:使わないだろうと、使ったら辞めるだろうと、そう思いました。佐々木さんがりんごの木が枯れる夢を見たといいました。そこまで考えるようになったかと思いました。だからスプレーヤーを使ってもいいと言ったのです。
Q:佐々木さんに対する信頼があったのですね。
A:そうです。人を試してもそこに溝ができるらけですから。
Q:佐々木さんがりんごを持って来た時、木村さんが食べましたが本当に美味しかったのですか。それとも励まそうとして言ったのですか?
A:本当に甘かった。ただ、それは自分の技術不足を言い訳していると思います。佐々木さんにりんごジャムやジュースにし、それでもだめならりんご酢にしたらとアドバイスしました。全部売れました。
Q:心があれば技術は後からついてくる。短気は損気、この言葉が印象に残っています。
A:そうです。佐々木さんのりんごを味わいました。
Q:まずかったら、不味いと言いましたか?
A:いいますね。その後、使い方があるよとアドバイスします。でないと先を折るようなことになるので、これは捨てるなよ、とそのような話をしました。私はお金はほどほどにあればいい。心です。
Q:奥さんは7年も8年も収入がなくても、黙って信じていたのですね。
A:いつかは辞めるだろうと思っていたんじゃないですか。暮らして行けなくても辞めないから、こんな馬鹿と思ったんじゃないですか。
Q:夫婦喧嘩はなかったですか。
A:夫婦だから何度が喧嘩したことはありますが、辞める続けるで喧嘩したことはなかった。
Q:もし、奥さんがなんで生活費をいれないのと、口やかましく言ったら、今の姿はありませんでしたか?
A:辞めないと思うな。必ず実らせて見せるんじゃなくて、1個ぐらい実らせてくれるんじゃないかと思った。
岩木山で死のうと、木にロープをかけたら、暗くてかからなくロープが落ちた。どこに落ちたか探っていたら、どんぐりの木がりんごの木に見えた。死のうと決めたら身が軽くなりました。
Q:7年も8年も神様は試し続けるのでしょうか?
A:毎日仏様神様に、りんご1個実らせてくださいとお願いしました。でも年々悪くなる一方ですが、一度も弱音をはかなかった。私が弱音を吐いたら頑張っている家族が余計に挫折するんじゃないかと思いました。年々悪くなっているんだけど、家族には去年よりよくなっていると、嘘をついた。
Q:家族へのおもいやりですか?
A:そうです。毎日手を合わせても少しもよくならなかった。よくなるどころかりんごの木が枯れてきた。その時、私は、りんごは実らなくてもいいから枯れるなよ、とりんごの木に何度もりかけてお願いした。それ以来神様に手を合わせなくなりました。
Q:実がならないなら意味がないと思うのですが。
A:葉っぱが落ちないでいるということは、同化されていないわけで、人間なら三日もご飯を食べないで生きているようなものでどこかおかしいのです。それを自分の木は何年も続けてきたわけです。肥料を買う金が1円もなかった。だから、枯れないでくれとお願いして回った。りんごの木が可哀想になってきたのです。
Q:かまど消しといった周辺のひとは、成功して風当たりが変わってきましたか?
A:いつか辞めると思ったんでしょう。もも・ネクタリン・野菜・米は無農薬が成功していた。りんごは絶対無理だと百二十年も言われていましたから。
Q:生活は相当苦しかったですか?
A:財布に1円も入ってなかったことが多かった。財布なんかもっていなかった。ガソリンを買うお金がなかったから、ガソリンでエンジンをかけ、あとは灯油を使っていました。
Q:そのときはお子さんが3人でしたか?
A:3人とも小学生だった。本当に辞めようと、自分の田圃を売ろうと考えた。そして、一からやり直そうと。家族みんなの協力があったからできたのです。
Q:当時、風当たりが強かったですか?
A:あった。周辺の風が強かった。気違いといわれた。
いまは、無農薬が当たり前になり風当たりはなくなった。今度は虫との闘いです。山に行くと虫が少なく、田圃や畑にいくと虫が多い。山に虫はいるが益虫と害虫のバランスが取れているからです。テレビを見たあとヤクザが「あんたにほれた」といってきた。あの世界に通じるものがあるかどうかわかりませんが。
市町村で農薬を撤廃する動きが出てきました。蒔いた種が少しずつ花を咲かせてきたかな、と思っています。葬儀組合の会長さんから、木村さんの話は良く分かるといわれた。
人が死んでも腐らなくなった。特に若い人の死臭がしなくなった、といったのは忘れられないですね。
ある県の大学病院の先生が私をひどく批判した。あんたみたいな生活をしといたら、日本中餓死者が出ると。ところが自分が、癌に侵されたとき食生活を見直して、初めて木村さんの言うことが分かったといいました。
農水省が見に来たものだから、JAの支所も無視できなくなっています。
何も施さなくても土の命を生かしてあげる。土にありがとう、といえるようでなければならない。
Q:人間にたとえると土は何でしょうか?
A:土は職場・病院ですね。いろんな人が働いているが、そのような人は作物であり雑草ですね。いろんな人がいるからいいのです。
友達が離れていったが、一人残った友は私にブレーキをかけてくれます。あんたそこ違うと。それが本当の友じゃないかと。もちろん酒場で飲んでくる友も友達だが、本当の友とはそういう人だと思う。杉とりんごは仲が悪い。りんごの木は杉を避けて伸びてくる。アカシヤやどんぐりとは相性がいい。トマトとピーマンも相性が悪い。大きなピーマンが1個できるだけで花咲かない。間に別のものを植えるといい。人の組み合わせも同じじゃないでしょうか。
Q:そうすると間に誰かが入るといいのですね。
A:私、野菜を作ってそう思いました。
Q:仕事はその人の生き方ですね。
A:二十世紀は効率文明でした。その結果、このような世の中になった。昔、かい割れ大根事件がありましたが、無菌状態ほど悪いことはないと思います。病院でMRSAが発症しますが、無菌にしたからではないでしょうか。菌はすぐに生態を変えます。遠野の佐々木さんに実がなるまでには4〜5年かかりますといっているのですが、それは葉っぱの菌が酢で押さえられるように改善されるまでの時間がかかるからです。農薬を一度散布すると生きている菌が生態を変えて抵抗力を持ってきます。それを繰り返してきたのです。それを戻すには相当の時間がかかります。
肥料農薬を使った米は、三年間は農薬が出てきます。私がお金で苦労したから、佐々木さんに一段ずつ上がるように、4〜5年の生活費を蓄えて始めるように言ったのです。
Q:人間も考えを変えるには4〜5年かかるのですね。
A:そうなんですね(笑い)。少しずつ変えていくのです。日本語は51、英語は26語で表現します。英語の倍の文字で自分の感情を表現するのです。人間の機微を理解することです。
ケニアに行って野菜作りを教えると、芽が出てくると畑で踊りだします。道具がない。棒しかない。皆に歩いてもらいそこに溝ができるから、そこに種を蒔いた。農薬や肥料を買う金がないから、指導してくれと。
田圃や畑に行ったら、「ありがとうございます」と話しかけてくださいと口うるさくいいます。
虫も植物もみんな地球の仲間です。人間だけが偉いのではなく皆平等です。
ローマのバチカンからあんたの心を知りたいといわれました。
Q:若いときからそのような考えでしたか?
A:若いときは音キチだった。大人になってりんごから教えてもらいました。ありとあらゆる本を読んで実践したが、自然界ではまったく通用しませんでした。土の本・カビ、細菌、植物何百冊読んだでしょうか。書いてあるとおりやって全部失敗でした。
りんごがココまでやったのだから、そろそろ答えを教えてやろうと門を開いてくれたのかもしれません。
Q:子供さんにはどのように接してきましたか?
A:なにもしてやれませんでした。
Q:反抗はなかったですか?
A:なかったようだな。
Q:奥さんは子供の前で木村さんの悪口を言わなかったのですか?
A:聞いたことないな。あきらめていたでしょう。辞めて頂戴とは一言も言わなかった。ただ野菜とか米はよくできていました。
Q:利より真の経営を心がけています。
A:お金はあとからついてきます。金儲けしようとすればいくらでもできます。よそからりんごを買ってきて私が売ればいくらでもお金儲けができます。でもお金儲けして何になりますか。昔ブルドーザーに乗って2万円貰いました。お金がないときですから大金です。裏表コピーして98枚糊付けして、上と下は本物を置いて百万円にして、神様にいつか本物を上げますからといった。聖徳太子の1万円です。そんなこともしました。
夜の仕事をしたのは日中畑にいないと世間がうるさかったし、これでできるという確信ができたからです。虚栄心を捨てましたから、キャバレーで仕事してもなんともなかった。ホステスさんはトイレ掃除をしなかった。お酒とウイスキーではグラスも違うし、かき混ぜ棒はマドラーというのも知らなかったのです。
Q:虚栄心を捨てて楽になりましたか?
A:楽になった。
Q:なぜ虚栄心を捨てようと思いましたか?
A:ココから下はないから。自分は一度首をくくろうとしたし、死んだ人間だから。水商売はモット暗いと思ったらすごく明るくて。こんな世界だったのか、と。キャバレーが1時間前には終わっていました。その頃青森はりんごの景気がよかったので、ほかのキャバレーでトイレ掃除をさせてもらいました。1回500円で1晩に20件回った。タバコのハイライトが1箱80円だった時代です。
Q:そこまでして、という思いはありませんでしたか?
A:全然なかった。ただ、知り合いのところは避けた。
Q:子供はそのような姿を見ているのでしょうね。
A:夜いないから子供がお父さん何しているのと。そうしたら、女房がお父さんは24時間営業の観光会社に勤めていると、嘘言ったみたいです。
Q:奥さんのほうが木村さんより大きいのかもしれませんね。
A:女房の手のひらで動いているだけかもしれません。技術屋さんや設計会社からたくさん手紙をいただきました。こころがよくないといい仕事はできないと。
刀鍛冶師からは、見た目がよくても湿った藁を切ると刃こぼれ起こすような刀鍛冶が多いと。刃ひとつに木村さんの心を感じましたと。
Q:何のために生きるのか。心棒を持つことですね。
A:目に見えないものを観なかったから失敗したんです。目に見えるものはすぐに目に付く。見える部分だけ見てきたのが失敗の元でした。タンポポの根を掘ってみたら葉っぱと同じではないかと。葉っぱを上にすれば葉脈の通り成長する。それと同じで根も成長していく。掘ってみて分かったのです。根がどのようにして伸びていくか誰も見ていない。
Q:ご近所の方がりんごの花が咲いているぞと教えてくれたのですね。
A:そうです。その方とは肥料を使わなくなって一度も口利いたことがなかった。その人と話をしたのは何年ぶりでしょうか。その息子が肥料を減らすための勉強に来ています。少しは周辺のお役に立っているかと思います。
花が咲いていると聞いて、半分は嘘だと思い、半分は本当だろうと思った。が見に行けなかった。家内と2人で50ccの単車に二人乗りして畑の近くまで来ましたが、そこから足が動かなかった。隣の畑の小屋から見ました。普通は摘花するけど、できなかった。その年は小さな実しかできなかった。
農薬をかけられてりんごの木が生きているのが不思議です。人間も同じじゃないかな。やがて本能の赴くままに行動する人間が増えてくるのではないかと思います。人間の倫理がなくなったような時代です。
Q:木村さんのように心を大切に自然との共生を目指して生きると批判にさらされますよね。
A:そうです。お釈迦様でもヒンズー教の中で迫害を受けましたが、仏教は三大宗教になっています。気違いが気違いでない時代が来ます。
女房と22歳で結婚したんですけど、それからまもなくこういう仕事をしたでしょう。青春とはなんだ、ではないですけど何もなかったなぁ。ただ畑をこうしたらいいとか、何でならないのかなと、そればっかりやってきたので青春とは何だったなんだろうなと思ったりして・・・。高校時代にオートバイ乗り回したからそれが青春だったのかな、なんて・・・ハハハハ。
Q:もうお子さんは巣立っているのですか?
A:一人は東京で三味線を勉強しており、一人は結婚し、末っ子が仙台にいたが帰って手伝っています。子供に自分の仕事を理解してもらったのがすごく嬉しい。きっと、あんたのお父さんは何しているの、というのが耳に入ったと思うの。それが今社会から理解されたのが言葉として言わないけど嬉しいのではないかと思っています。
Q:もし木村さんが子育てについてアドバイスをくださいといったら、なんとおっしゃいますか?
A:少しほったらかせ、と言います。今ここに子猫いたでしょう。子猫欲しいという人がいたからあげたら返しに来た。噛み付くというのです。うちに来て噛み付いたことが一度もない。あまりかまいすぎてネコがもういい加減にしてくれと噛み付いたんです。適当にほったらかしたのは雑草のように強いよ。私そう思う。親が手をかけすぎるんじゃないの。私小さいときから親の顔あまり見てないもん。藁で作った籠にネコと一緒に田んぼや畑の畔にいた。女房と一緒になったとき隠れて捨て猫を飼っていた。ハハハハ・・・。
学校の試験でも式を書いて答が違ってたら○をあげていい。式も書かないで答があったから○にするのはどうかと思います。努力を認めてあげなければいけません。過程をかいたい。
遠野の佐々木さんが、りんごの木が枯れるという夢を見たというから、スプレーヤーを使ってもいい、といったのです。
私、子供の視点に立ってという人ほど、何もやってないんじゃないかと思うのです。自分がトマトだったら、稲だったらと思うのです。そうすると、どのようにして欲しいのか分かるのではないでしょうか。キュウリだったら今水をやってもいいのか。長年キュウリを見ているとそれが分かるでしょう。そんなことをよく言うのです。
よく、木村農法といいますが、農法ではないのです。誰でもできるのですから。作物は小さいときは雑草に負けてしまうから、雑草を排除してやる。そうするとお日様が当たるでしょ。それが愛情です。大きくなれば、少しほっといてもいいのです。
人間としてやってはならないこと、やらなければならないことを教えて、後は体にいい食べ物を与え丈夫な体にすればいいのです。
情報が多い世の中で親の知らない子供の姿を知るのは難しいですが、よく観察してある程度ほったらかしにしておけばたくましく育つのです。
教育とはその子の特徴を伸ばしてやるのが先生の仕事であり、勉強だけして先生になって偏っています。偏った先生は点数という偏った教えしかできないのではないでしょうか。
Q:優しい病院作りをしていきます。
A:開かれた病院にしてください。病院は閉ざされた感じがします。開かれた病院でなければなりません。
Q:農薬を使った木とそうでない木は分かりますか?
A:無農薬で育てた木は燃やしたら灰が灰色になりますが、農薬を使った木は灰が灰色になりません。赤っぽくなります。陶芸家は喜びますが。無農薬といいながら、農薬を使った作物が出回っています。無農薬のものは腐ってもにおわないのです。お米も無農薬で作ったものは、水で研いだやつでも腐らないのです。私が、サリン事件のとき、研いだお米を持って横浜に行ったとき、車掌さんから変な物を持っているといって電車から降ろされました。ハハハハ・・・。

 4時過ぎにご自宅を出て、ホテルに戻った。午後5時だった。6時から地元の人がいく居酒屋で夕食をとった。
 いろんなことを考えさせられた。人間として目指すものが何かが、その人を作り上げる。
 お金を第一に考えると金のにおいがする人間になる。見かけだけを大事にすれば、見かけだけで中身のない人間になる。
 木村さんは体にいい食材を作ろうと、ただそれだけにいのちをかけてきた。お金には筆舌に尽くしがたいほどの苦労をされたが、さらりと苦労話を笑いを交えて話してくれた。人は真理に到達するには、いろんな方法がある。ある人は断食瞑想により、ある人は自分の仕事にいのちをかけて真理に到達する。
 動機が不純でいいとは思わないが、必ずしも善でなくてもいいのではないか。一途に自分の求める道を歩いていく間に、心が研ぎ澄まされて来るような気がする。仕事の試練は自分の心を高めてくれる。そこから逃げなければ、神様は必ず道を開いてくれる。愚痴や弱音を回りに吐かないで、自分の胸の中で吐けばいい。
 公のため、たくさんの人のお役にたつことは、必ず花を開かせてくれると確信した。あきらめきれない夢を持ち続けていけば、天が、人が、助けてくれる。
 キャバレー勤めをし、店が終わってよその店のトイレ掃除をした木村さん。見栄を捨てたという。大事なもののために見栄を捨てたのだ。一遍上人は「捨て果てて」生きた人である。捨てることは、見栄にしろ、お金にしろ、ものにしろ、勇気がいる。大事なものをひとつにしていけば勇気がでるのか。欲深い人間はあれもこれも、と手にしたものを離そうとしない。離さないから、一番大事なものが手に入らないのだ。
 木村さんとお話をしていると、なんとも言えない心豊かになる。木村さんがおっしゃるとおり、豊かな心が何より大事だ。そのためには、効率や目に見えるものを追いかけないことである。目に見えるものは、目に見えないものが作る。
 お金は印刷すればすぐできるが、豊かな心は日常の生活を真剣に生きてこそ出来るものである。
 木村さんは自分は無農薬農法の師匠とは思わないという。みんな志が同じ人は平等であり、仲間だという。
 子供が自分の仕事を認めてくれたことが嬉しいとおっしゃったが、親は自分の生き方を通して子供に評価してもらうことで、子供の教育をしているのではないか。
 私も病院経営を通して、人間としての行き方の真理に到達して行きたい。どんな苦労があろうと、すべてに感謝して生きていかねばと思った。食べ物が人間の心に大きな影響を与えていることを改めて教えられた。食こそ人間の命の元である。もう少し、食に気を使わねばと感じた。
 苦労した人は苦労のにおいがしないで、明るく優しい。私も木村さんのようになりたい。

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